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Feature

「映画館の街・七間町」

ヒトヤドヒストリー

magazine Vol.2

映画館のルーツは明治の芝居小屋

 昭和20~50年代の七間町・人宿町は「静岡東宝会館」「静岡東映」「オリオン座」「有楽座」など十数館が立ち並ぶ、全国でも珍しい映画街として賑わいをみせていた。平成生まれ以降の若い世代を除けば、当時のことを懐かしく思う人も多いだろう。今回は、まさにその時代を体感している「静岡東宝会館」を運営する日映株式会社社長の森岡映二さんにお話をうかがった。
 「静岡の映画館のルーツは明治初期に誕生した芝居小屋にある」。森岡さんの話はそこから始まった。将軍の座を奪われた徳川慶喜が静岡で謹慎生活に入った際、江戸町火消の頭・新門辰五郎も慶喜の警護のために来静。静岡で約3年暮らしているが、明治維新で混乱する駿府の街を元気づけたいと、明治3年芝居小屋「玉川座」を建設した。3階建ての歌舞伎小屋で、こけら落としには東京から当代の人気役者が次々やって来て、連日大入り満員。近隣にはお茶屋や料理屋もでき、界隈は大変賑わったという。

「若竹座」で静岡発の活動映画を上映

 「玉川座」は辰五郎が帰京した後、小川鉄太郎が座主を引き継ぎ小川座と改称。さらに木材商の高橋鉄太郎に引き継がれ「若竹座」と名前を変えている。この若竹座こそ静岡で初めてエジソンの活動映画を上映した芝居小屋で、明治30年6月15日が初めて上映された日とされている。
 大正期に入ると若竹座のほかにもキネマ館、電気館、歌舞伎座など続々と映画館が誕生するが、その後の静岡大火や戦火により映画館はすべて焼失することとなる。ちなみに、日映株式会社は静岡大火の翌年に映画事業を始めている。

全盛期には静岡に27の映画館があった

 新たな映画の時代が始まったのは戦後昭和21年から。次第に映画館が増えていき、昭和30年代には旧静岡市内に30館近く映画館があった。(現静岡市では46館)戦後の娯楽のない時代、テレビもまだ普及しておらず、大人も子どもも多くの市民が映画を楽しんだ。当時映画は"娯楽の王者"と言われ、静岡の映画館街も多くの人であふれかえった。森岡さん自身も、当時お客様がいち早くいい席を取ろうと走る光景や、映画館の外に長い行列ができていたことをはっきり覚えているという。
 平成になると、映画館の数は減り、新静岡セノバにシネマコンプレックスができる。街中の映画館として唯一残る「静岡東宝会館」は現在5スクリーンを有し、邦画、洋画、アニメと多彩な作品で静岡の映画ファンを楽しませてくれている。そして今後、人宿町のお店とも連携しながら、新たな賑わいを創出し、映画の面白さを新たな体験で提供するために、「映画」と「食」と「新しいエンターテイメント」の複合施設を仕掛けるべく動き出している。

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